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東京地方裁判所 昭和48年(わ)5304号 判決 1974年6月03日

主文

被告人甲を禁錮八月に処する。

被告人乙を禁錮六月に処する。

被告人乙に対し、この裁判が確定した日から参年間刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、証人Aに支給した分の二分の一及び弁護人Bに支給する分は被告人甲の負担とし、証人Aに支給した分の二分の一及び弁護人Cに支給する分は被告人乙の負担とする。

理由

一罪となるべき事実

第一  被告人甲は、昭和四八年七月八日午前一時二八分頃、業務として普通貨物自動車(軽四)を運転し、東京都大田区仲池上二丁目二八番先の交通整理の行われていない交差点(被告人甲の進入路の幅員約6.05メートル、被告人乙の後記進入路の副員約5.45メートル。いずれも交差点入口の幅員)を道々橋方面から第二京浜国道方面に向けて南進、通過しようとしたが、同交差点はその手前に一時停止の道路標識があり、左右の見とおしがきかなかつたから、同交差点直前で一時停止し、左右道路の交通の安全を確認して進行し、もつて衝突事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのににこれを怠り、一時停止の道路標識に気づきながらも、交通閑散であるのに気を許し、同交差点の直前で一時停止せず、かつ、左右道路の交通の安全を確認しないで時速約二〇キロメートルで同交差点内に進入した過失により、おりから右方道路から東進して来て同交差点内に進入して来た被告人乙運転の普通乗用自動車の前部に自己の車両右側を衝突させ、その衝撃により自己の車両を左前方に暴走させ、左前方車庫内に駐車中の自動車に衝突させ、自己の車両の同乗者丙(当時二三歳)を車外に転落させて頭蓋内損傷等の傷害を負わせ、よつて、同日午前四時四〇分頃、同都品川区旗の台一丁目五番八号昭和医大病院において頭蓋内損傷に基づき同人を死亡させ、

第二  被告人乙は、昭和四八年七月八日午前一時二八分頃、業務として普通乗用自動車を運転し、前記交差点を久ケ原方面から十中通り方面に向けて東進、通過しようとしたが、同交差点は、左右の見とおしがきかず、かつ前記のとおり交差する各道路がいずれもあまり広くなく、その幅員がほぼ同じであつたから、左右道路の交差点入口手前に一時停止の道路標識があることを同被告人において知つてはいたけれども、なお徐行して左右道路の交通の安全を確認しつつ進行し、もつて衝突事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、左方道路の安全を確認しないで漫然時速約三〇乃至三五キロメートルで同交差点に進入した過失により、前記のとおりおりから左方道路から同交差点に進入して来た被告人甲運転の普通貨物自動車(軽四)右側に自己の車両前部を衝突させ、その結果、前記のとおり丙を死亡させるとともに、被告人甲に加療約八日間を要する頸椎稔挫等の傷害を負わせたものである。

二証拠の標目<略>

三法律の適用

法律に照らすに、被告人甲の判示第一の所為は、刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中禁錮刑を選択し、所定の刑期範囲内において同被告人を禁錮八月に処し、被告人乙の判示第二の業務上過失致死及び同傷害はいずれも刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項、一〇条により犯情の重い業務上過失致死罪の刑に従い、所定刑中禁鋼刑を選択し、所定の刑期範囲内において同被告人を禁錮六月に処するが、同被告人に対しては情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判が確定した日から三年間刑の執行を猶予し、なお、被告人両名の各訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文により主文のとおりこれを負担させることにする。

四弁護人の主張に対する判断

被告人乙の弁護人は、最高裁判所昭和四七年(あ)第二八五号同四八年五月二二日第三小法廷判決(刑集二七巻五号一〇七七頁)を援用し、同被告人には本件交差点手前において徐行すべき業務上の注意義務がなかつた旨主張するので、特に判断を示すことにする。

最高裁判所昭和四二年(あ)第二一一号同四三年七月一六日第三小法廷判決(刑集二二巻七号八一三頁)は、昭和四六年法律第九八号による改正前の道路交通法四二条に関して、車両等が同条にいう「交通整理の行なわれていない交差点で左右の見とおしのきかないもの」に進入する場合において、その進路があまり広くない道路で、これと交差する道路の幅員もほぼ等しいようなときには、交差する道路の方に同法四三条による一時停止の標識があつても、同法四二条の徐行義務は免除されない旨を判示しており、この判旨は、前記法律による改正後の道路交通法四二条一号にいう「左右の見とおしのきかない交差点」についてもそのまま妥当するものと考えられる。そして、当裁判所の検証調書並びに司法警察員の実況見分調書二通及び写真撮影報告書によつて明らかなとおり、本件交差点はまさしくこの判例に示されている交差点に該当するものであり(当裁判所の検証調書によりうかがわれる本件交差点における交差各道路の交通量の若干の差異はとうていこの判断を妨げるに至るものではない。)、被告人乙は道路交通法四二条により本件交差点手前において徐行すべきものであつたといわなければならない。そして、この判例が交差道路の方に一時停止の標識があるにもかかわらず、なお徐行義務があるとした所以は、結局のところ、このような道路においては、一時停止の標識があつても実際上なお一時停止しないで交差点に進入する車両のあるのを免れない現実にかんがみ、他方の道路の運転者にも徐行義務を課し、もつて衝突事故を未然に防止しようとするところに道路交通法四二条の趣旨が存するものと解したことにあると考えられる。あまり広くない道路に多数の自動車が走行しているわが国社会の実情にかんがみれば、いわば運転者相互の自制と互譲によつて事故を防止しようとする趣旨の判例として、妥当なものと考えられる。それゆえ、相手方車両の運転者が一時停止の義務を怠り、また当該運転者が徐行義務を怠つたためにその交差点で衝突による死傷事故が発生した場合において、その徐行義務違反は単に道路交通法上の義務違反であるにとどまり、事故に対する運転業務上の過失でないというようには言い得るものではない。なぜならば、当該運転者は、交差道路から一時停止の標識を無視又は看過して交差点に進入して来る車両のあることを予想して、交差点手前で徐行すべしとするのが道路交通法四二条の基本的趣旨であり、そうであれば、その徐行義務は、同時に事故に対する刑法の適用の面において、まさに事故発生を未然に防止すべき業務上の注意義務であり、その懈怠は業務上の過失にほかならないといわなければならないからである(現に、前記昭和四三年の判例は、被告人の業務上過失責任を認めた二審判決を維持しているのである。)。道路交通法上は徐行義務があるが、刑法上は反対に相手方車両が一時停止することを信頼して徐行しなかつたとしても過失ではないとすることは、本件のような場合については理に合わないといわなければならない。ただ、一時停止の道路標識を無視又は看過した業務上過失と徐行を怠つた業務上過失とでは、その程度において、前者が比較的重く、後者が比較的軽いという差異を認めるべきことはもとよりである(言葉を換えれば、右のような交差点を徐行しないで通過する運転者は、万一衝突事故が起つた時は、一時停止を怠つた相手方運転者の過失よりは軽いにしても、なおいくばくかの過失を免れないという負担のもとに、あえて徐行しないで通過するものに外ならないと評し得よう。)。

もつとも、本件の場合、もし被告人乙の進路の方が被告人甲の進路に比して交通量がはるかに多く、いわば車両が間断なく流れるように通行しており、被告人甲の進路の通行車両は必ず交差点手前で一時停止しているという事実上の通行慣行が成立していて、そのため、被告人乙の進路を通行する車両の運転者に被告人甲の進路の通行車両の一時停止を信頼してよいとするような特段の事情があれば別であるが、当裁判所の検証調書によつて認められるとおり、被告人乙の進路は、被告人甲のそれに比して車両の通行量が若干多いけれども、いまだ右のような特段の事情は存しないことは明らかである。

弁護人の援用する昭和四八年の判例は、前記昭和四三年の判例とやや考え方が異なるようであるが、後者は変更されていないのであるから、前者は本件と事案を異にするものと解するほかはない。

以上の理由により弁護人の主張は採用することができない。よつて主文のとおり判決する。 (大久保太郎)

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